ブログのケアタウン情報をお読みになって、パン屋にご来店くださる方が数人いらっしゃいます。
情報が役に立ったと言われる方もいらっしゃるので、改めてアップすることにしました。
患者さんだけではないんです。
山﨑先生の活動に共感し、先生のもとで働かれていた方も幾人かいらっしゃいます。
医療従事者の方達が山﨑先生の活動を受け継がれて後押しするような輪を広げていこうとされています。
そういう私も数年後?には何やら計画しているのですが、その中の一つに「孤独死を無くす取り組み」も考えていたりします。
私も他人事ではないですからね。
ケアタウン小平は小平市御幸町にあります。
訪問看護ステーションやデイサービスセンターがあり、
2017年には私の父が、2019年には母が大変お世話になりました。
父はステージ4の大腸癌・肝臓がん、母はステージ4の膵臓がんでした。
同じような状況の方のお役に立てれば幸いです。
ケアタウン小平とは、
『ホスピス緩和ケアを在宅で提供し、最期まで安心して暮らし続けられる地域社会を創設することを目的としたチームで、ケアタウン小平クリニック(24時間対応の在宅緩和ケア充実診療所)、 みゆき亭(食事サービス、配食)、「いっぷく荘」で構成されています』
そうなんです、末期癌など余命が宣告された後の人生を、病院ではなく自宅で最期を迎える支援をしてくださるところです。
私は2015年の年末に両親を広島県から小平に呼び寄せました。
その1年後に父の癌が発見されるわけですが、当時は訪問看護もケアタウンも知りませんでした。
そんな私がなぜケアタウン小平を選択したのか。
話は30年以上前にさかのぼります。
ケアタウン小平の設立は2005年。
代表は山崎章郎先生です。
山崎先生のご著書『病院で死ぬということ』はご存知でしょうか?
1990年出版。
小金井市の桜町病院で末期のがん患者に向き合われた体験を綴られた内容で、ベストセラーになりました。
主演・岸部一徳さんで映画化もされました。
当時、私は広島に住んでいました。
二十代半ばだったでしょうか。
決して読書家ではなかったのですが、新聞の新刊欄にふとこの本を見つけ、購入しました。
拝読し、いたく感じ入り、大泣きをし、つたない文章で感想を桜町病院の先生のもとへ送りました。
先生からお返事が届きました。
今思えば非常にお忙しい先生にとって、非常に非常に非常にご迷惑な行為だと反省をしております・・・。
それから数十年
私は二十代後半で上京し、中野区に住んでいたのですが、その後は小平の鈴木町に引っ越して20年くらいにはなるのでしょうか。
るしえるをオープンすると同時に、広島から両親とワンコを呼び寄せ、一緒に暮らし始めました。
それは私の一つの夢だったんですね。
ケアタウン小平は鈴木町のゴルフ場の横、、鈴木町のbig-Aからヤオコーへ抜けるアップダウンの激しい道を上ったところにあります。
何も知らなかった時は、普通の高齢者施設だと思っていました。
一年後、父の大腸がん・肝臓がんが分かり、昭和病院で精密検査を受けました。
ステージ4で末期でした。
引っ越してからも毎月、市内の内科へ通って、血液検査や尿検査などを受けていたのですが、癌検診とはまた違うようで、定期検診では癌はなかなか発見されないのですね。
余命はあと4ヶ月くらい。
本人はまだまだ元気だったのですが高齢のため手術も厳しく、制がん剤にも耐えられないだろうし昭和病院としては手の施しようがないということで、病院内の「がん相談センター」へ回していただきました。
そこで女性の相談員から「ホスピスか在宅か。どちらを選択されますか?」
と聞かれましたが・・・
慣れ親しんだ広島の病院ならまだしも、家族と離れて思い入れも思い出もない東京での淋しい入院生活で人生を終わってほしくない。。。という思いから、「在宅かな・・・」と考えていた時、
「在宅でしたら、とっても良い先生がいらっしゃいますよ。鈴木町なら往診範囲内ですし。山崎先生はご存知ないですか?本も書かれています」
「山崎・・・山崎・・・本を書かれた?え、まさか・・・・山崎章郎先生?!」
「はいそうです!」
「えっっ!!山崎先生、小平にいらっしゃるんですか?!」
「はい、ケアタウン小平というところに」
先生の著書を拝読してから約25年の年月を経て、お世話になる機会があろうとは。
まずはケアタウンに予約をして、昭和病院からいただいたレントゲンと診断書を持って、面談に行きます。
情報共有のためか在籍されている全ての医師が立ち会ってくださいます。
(2022年6月1日より、クリニック部門は山﨑先生の意思を受け継がれた医療法人社団悠翔会がケアタウン小平クリニックを運営されています。
既存の訪問看護ステーション、デイサービスセンターの活動は従来通りです)
話は2017年当時に戻ります。
ケアタウン小平で在宅看護についての説明を受け、訪問の曜日を決めます。
うちは最初は週に一回でしたが、病状が進むにつれて回数は多くなります。
ケアマネージャーも在籍されているので、ケア用品(簡易トイレ、手すり、車イス、電動ベッドなど)も介護保険で借りられます。
ついでに・・・私は山崎先生にご迷惑な手紙を送ったことを平謝りでした。
先生は「わたし、お返事を書きましたか。へぇ〜〜笑」
山崎先生は福島出身で福島弁全開のかたです。
そこがまた気取りがなく、有名な先生なのに高飛車でもなくユーモアがあり、ファンがたくさんいらっしゃることは容易に理解できますねー(特にマダムのファンが多いです)
必要に応じてドクターの訪問と看護師さんや介護士さんの訪問があります。
父は癌性のむくみが下半身に出ました。
ご家族で経験された方ならお分かりになるでしょうが、皮膚がハリハリになって水分が滲んできます・・・。
最期の日まで介護士さんが訪問してテーピングやマッサージなど処置してくださいました。
マッサージの後、父は「楽になったー」と満足そうでした。(すぐにまたむくむのですが・・・)
ある日、山﨑先生が神妙な顔で父に話しかけました。
「天国はあると思いますか?」
おそらくじきに旅立つ父に何か言葉をおっしゃるんだろうと私が父の反応を待っていると、父はろくに考えもせず
「ありませぇーーーーーん」
と満面の笑顔で返しました。
これには山﨑先生も看護師さんもずっこけて、「むむむ・・・」な空気が漂いました(笑)
確かに父はお正月の参拝や先祖供養はきっちりとやる人でしたが、実に現実的な人で天国があるとか死んだら霊になるとかそういう方面は全く無関心でした。
今でも思い出すと吹き出すんですが、山﨑先生の天国のお話を聞き損ねて残念ではあります。
そんなこんなでおかげさまで、父は最期まで家族とワンコに囲まれ、好きなテレビを見て過ごしました。
余命宣告というものはだいたい短めに告げられるそうですが、それでも父は8ヶ月(余命宣告の倍)生きました。
ケアタウンからは面談時に、亡くなる予兆の状態などを書いた冊子をいただくのですが、いよいよ最期が近づいてくるとドクターや看護師さんから改めて念押しをいただきました。
・患者本人が最期を自宅で静かに迎えたいという希望があるのに、病態の変化に驚いた家族が救急車を呼んでしまうケースがあること。何かあればすぐにケアタウンに連絡を。
・最期を迎える前日には呼吸音の変化があること。
(これは父には言いませんでした)
などを話され、私も母も最期まで全力で明るく父を送り出そうと改めて決意したものでした。
亡くなる前日には確かに呼吸音が「ゼロゼロ・・・」という音に変わりました。
ああ・・・これで最期なのかと。
父いわく、ゼロゼロになっても本人は苦しくないそうです。
(ただ本人はその呼吸音が天国への予兆だとは最期まで知りませんでしたが・・・)
亡くなる数時間前まで父はゼロゼロしながらも
「家でうなぎを食べようで。タレは別にもう一個買ってきんさい」
という話とか
父「ジャンボ宝くじを30枚買ってきんさい」
母「あんなもん当たりゃーせんわいね!」
家族で大笑いをしたり、
ワンコにはおやつをあげることを忘れず、、、その日の深夜まったりと天国へ逝きました。
深夜にケアタウンに電話をします。
担当のドクターが来て優しい言葉がけをして下さり、診断をして死亡診断書を書いてくださいました。
その後は深夜でもケアタウンの方が体をきれいにして下さり、父が気に入っていた洋服を着せてくださいました。
それから深夜3時頃だったでしょうか、
私が葬儀屋さんに電話をしてとりあえずのドライアイスを持ってきていただきました。
翌日にはお棺とさらなるドライアイスが届く手配になっています。
詳細な流れを聞きたい方はまた個別にご連絡ください。
その一年後には母が末期の膵臓がんでケアタウンにお世話になることになります。
つづく。。。
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