それでは、ここからは2018年、母のケースを書いていきます。
癌によって全く対処が違うんだということを目の前で学びました。
母も東京へ引っ越してから毎月、腎臓内科へ通って血液検査や尿検査を受けていたけれども、やはり検査のポイントが違うんでしょう、癌は末期になるまで発見されなかったのですよね。
昭和病院では、
「余命は半年。がんが肝動脈を潰してしまったら即死なので、いつ亡くなってもおかしくはないです」と言われていました。
毎日が「今日も生きてた〜〜(涙)」という日々でした。
父の時は母が父の面倒をよく見てくれていましたので、パン屋を続けることができましたが、今度はいつまでパン屋を続けられるのかな?
朝2時に出勤したあと9時に一度戻って母の様子を確認、再度出勤して必要ならば14時ごろ様子見で帰宅、再度出勤して17時ごろまで働く、、、そんな8ヶ月でした。
ケアタウンのサポートを受けながら、デイサービスも週に2回お願いしました。
玄関先まで迎えにきてくださいます。
母はけっこう楽しかったようで、デイサービスの日は特に表情が明るかったですねー
所長さんがすごく明るくて良い方なんです。
「娘さんもいつでも見学にいらしてください〜」
と言ってくださって、流しそうめんの会に参加させてもらったこともあります。
スタッフさんたちも皆さん、明るい笑顔、笑顔、笑顔でした。
下の写真はクリスマス会の帰り。
スタッフさんもけっこうコスプレとかお好きみたいで、私も大笑いしました。
広島出身ということで広島風お好み焼きの会も催して下さいました。
これには母も大喜びで、愛用のコテ(お好み焼きを鉄板におさえる道具)を手にはりきっていました。→広島県人はけっこうコテが家にあったりしませんか?
所長さん自ら本当に盛り上げてくださいました。
よく送り迎えをしてくださったスタッフさん。
緊張しながらひっくりかえします。
山崎先生のピース
とにかくデイサービスも明るくて、楽しくて、思いやりがあって、イキイキとしていて、私も通いたいくらい大好きになりました。
2018年の秋。
癌宣告から半年後。
温泉が大好きだった母のために温泉旅行にも出かけました。
あまり遠くにも行けないので、青梅へ。
ケアタウンのドクターにも相談しましたし、アドバイスもいただきました。
車での送迎は、以前うちで働いてくれていたノリ子さん(現在福島在住)が引き受けてくれました。感謝です。。。
るしえるのお隣のあのん和療院の早美先生も手足が冷える母のために幾度も幾度も通ってくれました。感謝です。。。
2019年の春。
病状が進んだある日、山崎先生から「そろそろ付いていてあげたほうが」と言われて、お店をお休みにすることにしました。
それから3ヶ月くらい休業したでしょうか。
母の場合、膵臓がんの痛みが酷いようでした。
父の時は全く必要としなかった痛み止めテープ(モルヒネの湿布のようなもの)が母には必要でした。
モルヒネを扱うことになるので、ケアタウンから特別に処方箋をいただき、私が薬局へ取りに行きました。(ちなみに患者が亡くなった後、余ったテープは必ず返品をしに薬局へいかなければいけません)
最初は1㎝角でおさまっていた痛みが、次第に大きくなり、最後の頃は8㎝角ぐらいの大きさになっていきました。
貼っている間は母も痛みがないので元気ですが、一度私が貼り忘れた時があって(反省)、その時は激痛だったようです・・・。
日頃痛みがなく割合と元気なので、ひょっとしたら癌が良くなっているのかと錯覚するくらいでしたが、そんなわけでもなく。モルヒネが効いているだけなんだと改めてガッカリしたものです。
その後も母は大好きな朝ドラを観て、氷川きよしくんやドラマ相棒を観て、母娘であーだこーだと会話をすることができましたが、やがてモルヒネテープも最大の大きさになり、徐々に朦朧とする時間が長くなっていきました。
癌性の腹水も下半身のむくみもかなり酷くなっていきました。
ほとんど自力では動けなくなりました。
看護師さんたちに指導を受けながら、マッサージやポータブルトイレへの移動やむくんで水が滲む下半身の処置など、がんばりました。
一度、母が床へ座り込んでしまったことがあったのですが、腹水が何キロあるのか私一人では重すぎて起こせなかった時があったんです。
そこで前出のノリ子さんに電話して、夫婦で来てもらい、旦那さんに母を助け起こしてもらったことがありました。
本当に感謝でした。。。(涙)
腹水は抜いてもすぐにたまりますし、抜くと体力も落ちるんだそうです。
でもそんなアクシデント以外は、それなりに充実した母娘最期の数ヶ月でした。
それから2ヶ月後、おかげさまで母も無事に天国へ逝きました。
その日、様子がおかしいので午前中にドクターに来てもらい、「今日中かもしれない」と言われ、それからずっとそばについていたのに、
「ピンポーーーーン」
宅配便が来て、その応対をして戻った時には、もう息を引き取っていました。
なんちゅーことや!
その後、山﨑先生が来て死亡診断書を書いて下さり、先生のことが大好きだった母もさぞかし嬉しかったことでしょう。
その日は私の誕生日の前日でした。
余命宣告されてから一年後のことでした。
るしえるを再開したのは、数週間後の7月からでした。
待っていてくださった皆様にも感謝です。。。
ケアタウンの先生方、看護師さんたち、事務の方、ケアマネージャー、デイサービスの方々、皆さんに感謝しています。
山崎先生のお人柄なのか、志を高く持たれている方が集まっていらっしゃるのか、明るく強く優しく前向きなかたばかりで精神的にもサポートしていただきました。
今でも時折パンを差し入れしつつ皆さんのお顔を拝見しに伺っています。
その山崎先生がステージ4の大腸がんだと知ったのは翌年の春でした。
よく冗談で(半分本気で)
「私も先生に看取って欲しいです!」
「ぼくが生きているうちにお願いしますよ」
という話をしていましたが、、この事実はさすがにショックでした。
6月には著書も出されました。
ご自分の体を実験台にして、「がん共存療法」を試されています。
以前より少し痩せられていましたが、「今ね、ガンを抑える魔法をかけているんだよー」とおっしゃっていました。
それが食事療法などご著書に書かれている魔法=治療法なのですね。
私は自分の経験から、
がんにはなりたくないですが、なったとしたら・・・ケアタウンでお世話になろう、最期まで自分らしく生きよう、と思っています。
※ちなみに数年前から保険対応が可能となったラジオ波照射はどうなんでしょうね?
作家の百田尚樹さんが最近、ラジオ波で腎臓がんを治療されたようですが、退院も早く、数日後から元気にYouTubeの配信もされていました。
後日また山﨑先生の最近のご様子や、2023年11月に行われたケアタウンのイベントの様子、そしてデイサービスの所長さん手作りの可愛いフェルトのケーキの紹介(るしえるのレジの前に二つ、抹茶のロールケーキとチョコバナナケーキが置いてありますね〜)など、お届知らせしたいと思います。
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