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みなさま、いつもありがとうございます!


るしえる営業日の前日には毎回お送りしていた「明日のパンのご用聞き」なのですが、このたび経費節減のために回数と送信させていただく人数を減らすこととなりました。


公式LINEの月額料金がある時期から値上がりして

税込5500円から税込16500円になった時点でけっこう悩んだのですが

まあ様子を見ようか・・・という感じで今まで配信していました。


ところがお米の価格が高騰して倍近い値上がりとなり、仕入れの見直しや経費削減も考えるとLINEのプランの見直しも致し方ないかなと思った次第です。


プランを下げると、皆さんに一斉配信できる回数も減ってしまいます。


1月、試しにやってみますが、

・配信は過去1年間にご予約を下さったかたが対象

(1月3日配信はお知らせも兼ねているので皆さんに配信)


・もしかすると毎回の配信ではなく「火曜・水曜分」「金曜・土曜分」というように、まとまったご用聞きになるかもしれません。


様子を見ながら、試行錯誤でスタートする新年になりそう


景気の良くないお話ばかりで申し訳ございません(>_<)

せめて店頭では皆さまを明るく笑顔でお迎えしたいと思います!

どうぞよろしくお願いいたします!



みなさま、昨年中も本当にご愛顧ありがとうございました!

おかげさまで、るしえるは10年目に入りました。

歳をとるはずです・・・早いですねぇ


本年もどうぞよろしくお願いいたします。



今回は残念で、申し訳ないお知らせです・・・

みなさま、もう身に染みてご存知でしょうけど、お米の価格上昇が大変なことになっていますね(>_<)


誠に心苦しい限りではございますが、1月14日より価格改定に踏み切らせていただくこととなりました。


新米が出れば価格が落ち着いて少しは下がるのでは無いかと思っていたのですが、、下がるどころか去年の冬にはさらに爆上がりでした。


ちなみにうちが現在仕入れているのはこちらの山形のお米なんですが、そちらのTOPページにも書いてあるように新米が出ても価格が高止まりしたままです。

去年の夏には玄米25kgが8000円台で購入できていたものが、9000円台になり、10,000円台になり、今では16000円台になりました。

びっくりです!!(>_<)


米不足等さまざまな要因がありますが、長くなるのでここでは触れません。

(キヤノングローバル戦略研究所)




話は戻りますが、

るしえるのパンは約半分がお米でできています。


夏を過ぎてから「お米の値上がりは厳しいなぁ・・・」と思っていましたが、

「新米が出れば落ち着くだろうからそこまで頑張ろう〜!」


新米が出ても

「あれ??下がらんな??」

12月になって

「うそーーーん!!また値上がりだ!!?なぜっ???」


・・・・というわけで、断腸の思いではありますがパンの値上げをさせていただくこととなりました。

実情をご考慮いただき、ご理解たまわりますようお願い申し上げます。


なお今後もより良い商品・サービスのご提供を追求していく所存でありますので、変わらぬご愛顧を謹んでお願い申し上げます。








私があれこれ書くよりも、動画をご覧になった方がわかりやすいと思いますので、興味のあるかた よろしかったらどうぞ〜




◆残留農薬グリホサートは〇〇で解毒できる!


元農水大臣 山田正彦さん





◆【証拠付:東海大学名誉教授 大櫛陽一】2024年4月 高血圧の基準値が変わりました。報道されない新基準を厚労省HPを基に徹底解説


歳をとるとどうしても血管の柔軟性がなくなり、末端まで血液が行き渡らなくなるので、心臓が一生懸命血圧を上げて、全身に血液が行き渡るように頑張ります。

なので年齢が上がるに従って、血圧が上がるのは当然のことなんです。


「年齢プラス90」でいいんだとよく言われます。


栄養状態の良くなかった昔は高血圧で血管が切れる危険性が高かったようですが、栄養状態の良い今は切れるよりも「詰まる」危険性の方が高く、血圧を低く抑えることで脳に血液が行き届かなくなることによる脳梗塞や認知症のほうが懸念されています。








◆ネオニコ系農薬 人への影響は【報道特集】


:::人への安全性は高いとされ、広く使われている

ネオニコチノイド系の殺虫剤。

ところが、ヒトにも影響を与える可能性があるという懸念が

最新の研究などから浮かびあがっています。現場を取材しました。

(報道特集 2021年11月6日放送):::



特にマウスの実験結果は改めて驚きました。

何らかの影響を人体も受けるんでしょうか・・・


ラストは救いがあります。

農薬によって一度はいなくなったトキが戻って来ます。

「佐渡の農家はトキに約束したんです。絶対にお前たちのエサを増やしてやると」

佐渡は有機農業に転換しました。

私はパン屋ですが、ご飯も大好きです。

パンに入れるくらいですから。

そのうち、おむすびも店頭に並べたいくらいです。


米粉100%のパンを焼いてみようと思ったのは、、何年前でしょうか、

常連のお客さまから

「グルテンフリーのパンを焼けませんか?」

とボールを投げられ、投げられたら全力で投げ返そうとする私なので、その日から全力で修行が始まったんですが・・・


作ったことがあるかたはお分かりでしょうけど、これがひじょ〜〜〜〜に難易度が高いんです!

ほとんど膨らまずに、お餅になることも珍しくないです(>_<)


そのお客さまは

「膨らみが悪くても、カットを失敗しても、なんでも大丈夫だから、二週間おきに1斤焼いて欲しい。10枚切りで」

と言ってくださいました。

失敗しても、トーストしてお煎餅みたいにカリカリ食べて下さっていました。

ありがたかったです!!(涙)

(もちろんお値段は超お安くさせていただきました)


今、グルテンフリーの食パンを肩の力を抜いて焼けるようになったのは、こちらのマダムのおかげなんです。

一年ぐらいは表のパンメニューに載せることなく、粛々と修行をさせていただきました。




ちなみに、グルテンフリー米粉100パーセントパンは、専用の米粉を使います。

今のところ熊本産の「ミズホチカラ」しか、増粘剤などの添加物なしで膨らむ米粉は知りません。

これがお高いんです。

ミズホチカラがもっと普及すれば、お安くなるんじゃないかと思うんですが。

(市販の米粉パン用の米粉の中にグルテンや増粘剤が添加されているものもあります。アレルギーの方はご注意ください)


米粉の丸パンを作ろうと思ったのも、やはりお客さまからのご要望でした。

ありがたいですねぇ。。

ついつい守りに入って向上心が無くなっていくのですが、新しいご提案をいただくと、たちまち鋭意修行中〜〜〜〜モードにスイッチオンです。


米粉の丸パン プレーン。

丸ながらピカピカにしないと焼き上がりがキレイにならないんです。

子どもの頃、家の庭で泥団子を作り、ピカピカになるまで丸めるわけですが、ブロンドのような光沢が出てきたら完成なんです。

それを何十年ぶりに思い出しました(笑)

発酵後。少し膨らみました。

この見極めが難しいです。

数分長いと焼き上がりもダレます。



ふわふわもちもちで美味しいです〜〜〜

切り込みがキレイに開くことが少なくて、いまは切り込みを入れていません(>_<)




こちらは雑穀入り。

焼く前に玄米粉を振っているので、香ばしくて美味しい〜〜〜


しばらくは米粉雑穀パンが店頭に並ぶと思いますが、これからも種類を増やしていこうと思います。


一見小さいんですが、一個100g(焼く前)あります。

重量はごぱん(焼く前70g)よりは重く、ベーグルプレーン(100g)並みです。


これからも精進いたします!

前回の記事から7ヶ月・・・


6月が来るのをワクワクしながら、ひでちゃんが国分寺に上陸するのを待ち焦がれていました。

なのに待てども待てども、丸井の地下の催事コーナーに、ひでちゃん現れず・・・(涙)


地下インフォメーションのお姉さんに聞いてみたのですが、二週間先のスケジュールしかわからないそうでした。


ソウルフードでもある美味しいお好み焼きが切れると手が震えてしまうので、同じく広島出身の江東区のお友達を誘って、夏場に飯田橋の有名お好み焼き屋さんに行きました。


少しは震えがおさまりましたが、まだひでちゃん現れず・・・(涙)(涙)


なのでつい先日も暑い最中、同じく江東区のお友達を誘って、汗だくになりながらも東小金井にある美味しいと評判の広島風お好み焼き屋さんに行ってみました。

が・・・

がーーーーーーーん!!

お店は閉まっていて、夏場はランチはやってないとのこと(涙)(涙)(涙)

もはや手の震えは止まらなくなってしまいました。


ググって検索しても全くひでちゃん情報が出てきません。

そういう時は「X」です。

検索すると、どうやら武蔵小杉の東急の催事に出ずっぱりのようでした。

(わし、ストーカーか?!)




ところがつい先日、見つけたんです。

きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ちなみに・・・

「広島お好み焼き」だらけ(笑)



もちろん初日の9日に仕事帰りに行きましたよー

ううう・・・ようやく出会えたね。。。(涙)

いつものお姉さんと焼いてる店長さん。


けっこう売れてる。


すごく明るくて話しやすいお姉さんなんです〜〜

味も美味しいけど、お姉さんのおかげで武蔵小杉で人気があるのかも?!


15日が最終日です。

それ以降はまた武蔵小杉。

お客さんからリクエストが多くて、間違えて警備室にまで「ひでちゃん呼んでください」って電話かかかってきたんだとか(笑)

それだけ大人気なのに国分寺ではリクエストメールを出したのは私だけかしら(涙)

電話かけないとだめかしら・・・





初日の9日、11日、12日、買いに行ってます笑笑

今日、お姉さんに聞いたのですが「パン屋さんのラインを見て来たんです、って方が数人いらっしゃいましたよー」って。


どなたか存じ上げませんが、私の推しにお付き合いくださってありがとうございます!


「今日、丸井に行って来ました〜」と言って、るしえるに寄ってくださった方も。

ありがとうございます!


お姉さんが「パン屋さんで聞いて来たって言ってくださいな〜〜」って、ニコニコとおっしゃってました。




連日、美味しいお好み焼きを食べて手の震えはすっかり消えていたのですが、

なんとこの次は来年4月以降なんだとか・・・・(涙)(涙)(涙)


最終日に山ほど買って、冷凍しておくしかないです。



・・・読み返してみて・・・


食いしん坊ですねぇ


こんなだから痩せるはずがない!


広島出身者がどれだけ広島風お好み焼きが好きか、なんとなく分かっていただけるとありがたいのですが、二十代後半に東京に来てからは本当に寂しいかぎりです。。。


冷蔵庫には常にオタフクソースが入っています。

東京のスーパーにはオタフクソースしか売っていないので仕方がないのですが、本当はカープソースのほうが馴染みがあります。


自分でフライパンで焼いてもいいんだけど、やはり近所に美味しいお店が欲しい・・・。


そんな寂しい中年期をおくっていた時。


国分寺の丸井の地下の催事コーナーで見つけたんです!

広島風お好み焼きの美味しいお店をーーー!!

(店舗の画像は北千住丸井のをお借りしました)


店名は ひでちゃん


お姉さんに聞くと、(ちょっと忘れてしまったんですが)本店は広島市内ではなく福山方面だった記憶が。

デパ地下の催事を回ってらっしゃるようです。


私はいつも2つ買って、一つは両親にお供え。

ということにして、ちゃんともう一個も食べる。

一度にじゃないですよ(笑)翌日にです。

催事でこんなに本物に近いお好み焼きは初めてでした!

美味しいです〜〜〜〜〜

おすすめですよ〜〜〜〜

キャベツにもよく火が通っています。

天かすがまたよいアクセントですね。


そして・・・私が好きなカープソースが付いてきます。

珍しい〜〜〜

カープソースは私の故郷にあるソース屋さんなんです。

小学校の頃、そこの親戚の娘さんと仲良くて、時々ソースの並んだ広い倉庫で遊んでいました。


ただ、ひでちゃん

夏頃まで国分寺に回ってこないんですって(>_<)

そんなに間が開いたことあったかな?


ちなみに国分寺丸井での催事は19日火曜日まで。

ぎゃーーーーー、明日じゃないですか!

お店が終わったら国分寺に出て、お好み焼きをたくさん買って冷凍にしておこう・・・


↓ この写真は青のりかけすぎじゃないかえ?(笑)


それでは、ここからは2018年、母のケースを書いていきます。

癌によって全く対処が違うんだということを目の前で学びました。


母も東京へ引っ越してから毎月、腎臓内科へ通って血液検査や尿検査を受けていたけれども、やはり検査のポイントが違うんでしょう、癌は末期になるまで発見されなかったのですよね。


昭和病院では、

「余命は半年。がんが肝動脈を潰してしまったら即死なので、いつ亡くなってもおかしくはないです」と言われていました。

毎日が「今日も生きてた〜〜(涙)」という日々でした。


父の時は母が父の面倒をよく見てくれていましたので、パン屋を続けることができましたが、今度はいつまでパン屋を続けられるのかな?


朝2時に出勤したあと9時に一度戻って母の様子を確認、再度出勤して必要ならば14時ごろ様子見で帰宅、再度出勤して17時ごろまで働く、、、そんな8ヶ月でした。


ケアタウンのサポートを受けながら、デイサービスも週に2回お願いしました。

玄関先まで迎えにきてくださいます。

母はけっこう楽しかったようで、デイサービスの日は特に表情が明るかったですねー

所長さんがすごく明るくて良い方なんです。

「娘さんもいつでも見学にいらしてください〜」

と言ってくださって、流しそうめんの会に参加させてもらったこともあります。


スタッフさんたちも皆さん、明るい笑顔、笑顔、笑顔でした。

下の写真はクリスマス会の帰り。

スタッフさんもけっこうコスプレとかお好きみたいで、私も大笑いしました。


広島出身ということで広島風お好み焼きの会も催して下さいました。

これには母も大喜びで、愛用のコテ(お好み焼きを鉄板におさえる道具)を手にはりきっていました。→広島県人はけっこうコテが家にあったりしませんか?


所長さん自ら本当に盛り上げてくださいました。

よく送り迎えをしてくださったスタッフさん。

緊張しながらひっくりかえします。


山崎先生のピース

とにかくデイサービスも明るくて、楽しくて、思いやりがあって、イキイキとしていて、私も通いたいくらい大好きになりました。



2018年の秋。

癌宣告から半年後。

温泉が大好きだった母のために温泉旅行にも出かけました。

あまり遠くにも行けないので、青梅へ。

ケアタウンのドクターにも相談しましたし、アドバイスもいただきました。

車での送迎は、以前うちで働いてくれていたノリ子さん(現在福島在住)が引き受けてくれました。感謝です。。。



るしえるのお隣のあのん和療院の早美先生も手足が冷える母のために幾度も幾度も通ってくれました。感謝です。。。


2019年の春。

病状が進んだある日、山崎先生から「そろそろ付いていてあげたほうが」と言われて、お店をお休みにすることにしました。

それから3ヶ月くらい休業したでしょうか。


母の場合、膵臓がんの痛みが酷いようでした。

父の時は全く必要としなかった痛み止めテープ(モルヒネの湿布のようなもの)が母には必要でした。

モルヒネを扱うことになるので、ケアタウンから特別に処方箋をいただき、私が薬局へ取りに行きました。(ちなみに患者が亡くなった後、余ったテープは必ず返品をしに薬局へいかなければいけません)

最初は1㎝角でおさまっていた痛みが、次第に大きくなり、最後の頃は8㎝角ぐらいの大きさになっていきました。

貼っている間は母も痛みがないので元気ですが、一度私が貼り忘れた時があって(反省)、その時は激痛だったようです・・・。

日頃痛みがなく割合と元気なので、ひょっとしたら癌が良くなっているのかと錯覚するくらいでしたが、そんなわけでもなく。モルヒネが効いているだけなんだと改めてガッカリしたものです。


その後も母は大好きな朝ドラを観て、氷川きよしくんやドラマ相棒を観て、母娘であーだこーだと会話をすることができましたが、やがてモルヒネテープも最大の大きさになり、徐々に朦朧とする時間が長くなっていきました。


癌性の腹水も下半身のむくみもかなり酷くなっていきました。

ほとんど自力では動けなくなりました。

看護師さんたちに指導を受けながら、マッサージやポータブルトイレへの移動やむくんで水が滲む下半身の処置など、がんばりました。


一度、母が床へ座り込んでしまったことがあったのですが、腹水が何キロあるのか私一人では重すぎて起こせなかった時があったんです。

そこで前出のノリ子さんに電話して、夫婦で来てもらい、旦那さんに母を助け起こしてもらったことがありました。

本当に感謝でした。。。(涙)

腹水は抜いてもすぐにたまりますし、抜くと体力も落ちるんだそうです。


でもそんなアクシデント以外は、それなりに充実した母娘最期の数ヶ月でした。


それから2ヶ月後、おかげさまで母も無事に天国へ逝きました。

その日、様子がおかしいので午前中にドクターに来てもらい、「今日中かもしれない」と言われ、それからずっとそばについていたのに、

「ピンポーーーーン」

宅配便が来て、その応対をして戻った時には、もう息を引き取っていました。

なんちゅーことや!


その後、山﨑先生が来て死亡診断書を書いて下さり、先生のことが大好きだった母もさぞかし嬉しかったことでしょう。


その日は私の誕生日の前日でした。

余命宣告されてから一年後のことでした。



るしえるを再開したのは、数週間後の7月からでした。

待っていてくださった皆様にも感謝です。。。




ケアタウンの先生方、看護師さんたち、事務の方、ケアマネージャー、デイサービスの方々、皆さんに感謝しています。


山崎先生のお人柄なのか、志を高く持たれている方が集まっていらっしゃるのか、明るく強く優しく前向きなかたばかりで精神的にもサポートしていただきました。

今でも時折パンを差し入れしつつ皆さんのお顔を拝見しに伺っています。



その山崎先生がステージ4の大腸がんだと知ったのは翌年の春でした。


よく冗談で(半分本気で)

「私も先生に看取って欲しいです!」

「ぼくが生きているうちにお願いしますよ」

という話をしていましたが、、この事実はさすがにショックでした。


6月には著書も出されました。

ご自分の体を実験台にして、「がん共存療法」を試されています。




以前より少し痩せられていましたが、「今ね、ガンを抑える魔法をかけているんだよー」とおっしゃっていました。

それが食事療法などご著書に書かれている魔法=治療法なのですね。


私は自分の経験から、

がんにはなりたくないですが、なったとしたら・・・ケアタウンでお世話になろう、最期まで自分らしく生きよう、と思っています。


※ちなみに数年前から保険対応が可能となったラジオ波照射はどうなんでしょうね?

作家の百田尚樹さんが最近、ラジオ波で腎臓がんを治療されたようですが、退院も早く、数日後から元気にYouTubeの配信もされていました。



後日また山﨑先生の最近のご様子や、2023年11月に行われたケアタウンのイベントの様子、そしてデイサービスの所長さん手作りの可愛いフェルトのケーキの紹介(るしえるのレジの前に二つ、抹茶のロールケーキとチョコバナナケーキが置いてありますね〜)など、お届知らせしたいと思います。

ブログのケアタウン情報をお読みになって、パン屋にご来店くださる方が数人いらっしゃいます。

情報が役に立ったと言われる方もいらっしゃるので、改めてアップすることにしました。


患者さんだけではないんです。

山﨑先生の活動に共感し、先生のもとで働かれていた方も幾人かいらっしゃいます。

医療従事者の方達が山﨑先生の活動を受け継がれて後押しするような輪を広げていこうとされています。


そういう私も数年後?には何やら計画しているのですが、その中の一つに「孤独死を無くす取り組み」も考えていたりします。

私も他人事ではないですからね。



ケアタウン小平は小平市御幸町にあります。

訪問看護ステーションやデイサービスセンターがあり、

2017年には私の父が、2019年には母が大変お世話になりました。

父はステージ4の大腸癌・肝臓がん、母はステージ4の膵臓がんでした。

同じような状況の方のお役に立てれば幸いです。



ケアタウン小平とは、

『ホスピス緩和ケアを在宅で提供し、最期まで安心して暮らし続けられる地域社会を創設することを目的としたチームで、ケアタウン小平クリニック(24時間対応の在宅緩和ケア充実診療所)、 みゆき亭(食事サービス、配食)、「いっぷく荘」で構成されています』


そうなんです、末期癌など余命が宣告された後の人生を、病院ではなく自宅で最期を迎える支援をしてくださるところです。


私は2015年の年末に両親を広島県から小平に呼び寄せました。

その1年後に父の癌が発見されるわけですが、当時は訪問看護もケアタウンも知りませんでした。

そんな私がなぜケアタウン小平を選択したのか。

話は30年以上前にさかのぼります。






ケアタウン小平の設立は2005年。

代表は山崎章郎先生です。

山崎先生のご著書『病院で死ぬということ』はご存知でしょうか?

1990年出版。

小金井市の桜町病院で末期のがん患者に向き合われた体験を綴られた内容で、ベストセラーになりました。

主演・岸部一徳さんで映画化もされました。


当時、私は広島に住んでいました。

二十代半ばだったでしょうか。

決して読書家ではなかったのですが、新聞の新刊欄にふとこの本を見つけ、購入しました。


拝読し、いたく感じ入り、大泣きをし、つたない文章で感想を桜町病院の先生のもとへ送りました。

先生からお返事が届きました。

今思えば非常にお忙しい先生にとって、非常に非常に非常にご迷惑な行為だと反省をしております・・・。


それから数十年


私は二十代後半で上京し、中野区に住んでいたのですが、その後は小平の鈴木町に引っ越して20年くらいにはなるのでしょうか。

るしえるをオープンすると同時に、広島から両親とワンコを呼び寄せ、一緒に暮らし始めました。

それは私の一つの夢だったんですね。


ケアタウン小平は鈴木町のゴルフ場の横、、鈴木町のbig-Aからヤオコーへ抜けるアップダウンの激しい道を上ったところにあります。

何も知らなかった時は、普通の高齢者施設だと思っていました。


一年後、父の大腸がん・肝臓がんが分かり、昭和病院で精密検査を受けました。

ステージ4で末期でした。

引っ越してからも毎月、市内の内科へ通って、血液検査や尿検査などを受けていたのですが、癌検診とはまた違うようで、定期検診では癌はなかなか発見されないのですね。

余命はあと4ヶ月くらい。

本人はまだまだ元気だったのですが高齢のため手術も厳しく、制がん剤にも耐えられないだろうし昭和病院としては手の施しようがないということで、病院内の「がん相談センター」へ回していただきました。


そこで女性の相談員から「ホスピスか在宅か。どちらを選択されますか?」

と聞かれましたが・・・

慣れ親しんだ広島の病院ならまだしも、家族と離れて思い入れも思い出もない東京での淋しい入院生活で人生を終わってほしくない。。。という思いから、「在宅かな・・・」と考えていた時、


「在宅でしたら、とっても良い先生がいらっしゃいますよ。鈴木町なら往診範囲内ですし。山崎先生はご存知ないですか?本も書かれています」


「山崎・・・山崎・・・本を書かれた?え、まさか・・・・山崎章郎先生?!」

「はいそうです!」


「えっっ!!山崎先生、小平にいらっしゃるんですか?!」

「はい、ケアタウン小平というところに」


先生の著書を拝読してから約25年の年月を経て、お世話になる機会があろうとは。

まずはケアタウンに予約をして、昭和病院からいただいたレントゲンと診断書を持って、面談に行きます。

情報共有のためか在籍されている全ての医師が立ち会ってくださいます。


(2022年6月1日より、クリニック部門は山﨑先生の意思を受け継がれた医療法人社団悠翔会がケアタウン小平クリニックを運営されています。

既存の訪問看護ステーション、デイサービスセンターの活動は従来通りです)




話は2017年当時に戻ります。


ケアタウン小平で在宅看護についての説明を受け、訪問の曜日を決めます。


うちは最初は週に一回でしたが、病状が進むにつれて回数は多くなります。

ケアマネージャーも在籍されているので、ケア用品(簡易トイレ、手すり、車イス、電動ベッドなど)も介護保険で借りられます。


ついでに・・・私は山崎先生にご迷惑な手紙を送ったことを平謝りでした。

先生は「わたし、お返事を書きましたか。へぇ〜〜笑」

山崎先生は福島出身で福島弁全開のかたです。

そこがまた気取りがなく、有名な先生なのに高飛車でもなくユーモアがあり、ファンがたくさんいらっしゃることは容易に理解できますねー(特にマダムのファンが多いです)

必要に応じてドクターの訪問と看護師さんや介護士さんの訪問があります。


父は癌性のむくみが下半身に出ました。

ご家族で経験された方ならお分かりになるでしょうが、皮膚がハリハリになって水分が滲んできます・・・。

最期の日まで介護士さんが訪問してテーピングやマッサージなど処置してくださいました。

マッサージの後、父は「楽になったー」と満足そうでした。(すぐにまたむくむのですが・・・)


ある日、山﨑先生が神妙な顔で父に話しかけました。

「天国はあると思いますか?」

おそらくじきに旅立つ父に何か言葉をおっしゃるんだろうと私が父の反応を待っていると、父はろくに考えもせず

「ありませぇーーーーーん」

と満面の笑顔で返しました。

これには山﨑先生も看護師さんもずっこけて、「むむむ・・・」な空気が漂いました(笑)

確かに父はお正月の参拝や先祖供養はきっちりとやる人でしたが、実に現実的な人で天国があるとか死んだら霊になるとかそういう方面は全く無関心でした。

今でも思い出すと吹き出すんですが、山﨑先生の天国のお話を聞き損ねて残念ではあります。



そんなこんなでおかげさまで、父は最期まで家族とワンコに囲まれ、好きなテレビを見て過ごしました。

余命宣告というものはだいたい短めに告げられるそうですが、それでも父は8ヶ月(余命宣告の倍)生きました。


ケアタウンからは面談時に、亡くなる予兆の状態などを書いた冊子をいただくのですが、いよいよ最期が近づいてくるとドクターや看護師さんから改めて念押しをいただきました。


・患者本人が最期を自宅で静かに迎えたいという希望があるのに、病態の変化に驚いた家族が救急車を呼んでしまうケースがあること。何かあればすぐにケアタウンに連絡を。


・最期を迎える前日には呼吸音の変化があること。

(これは父には言いませんでした)


などを話され、私も母も最期まで全力で明るく父を送り出そうと改めて決意したものでした。


亡くなる前日には確かに呼吸音が「ゼロゼロ・・・」という音に変わりました。

ああ・・・これで最期なのかと。

父いわく、ゼロゼロになっても本人は苦しくないそうです。

(ただ本人はその呼吸音が天国への予兆だとは最期まで知りませんでしたが・・・)


亡くなる数時間前まで父はゼロゼロしながらも

「家でうなぎを食べようで。タレは別にもう一個買ってきんさい」

という話とか

父「ジャンボ宝くじを30枚買ってきんさい」

母「あんなもん当たりゃーせんわいね!」

家族で大笑いをしたり、

ワンコにはおやつをあげることを忘れず、、、その日の深夜まったりと天国へ逝きました。



深夜にケアタウンに電話をします。

担当のドクターが来て優しい言葉がけをして下さり、診断をして死亡診断書を書いてくださいました。


その後は深夜でもケアタウンの方が体をきれいにして下さり、父が気に入っていた洋服を着せてくださいました。


それから深夜3時頃だったでしょうか、

私が葬儀屋さんに電話をしてとりあえずのドライアイスを持ってきていただきました。

翌日にはお棺とさらなるドライアイスが届く手配になっています。



詳細な流れを聞きたい方はまた個別にご連絡ください。



その一年後には母が末期の膵臓がんでケアタウンにお世話になることになります。

つづく。。。

2015年の春に一橋学園のシェアキッチンを借りることにしました。

その時点では、パン屋を正式にオープンすることは考えてなかった気がします。


その際、看板パンを例の「お赤パン」にしようと思って、あの水に沈みそうな岩パンを友人・美也子ちゃんに試食してもらいました。

美也子「重い〜〜〜〜〜〜〜食べるのしんどい!」


ええっ・・・・(>_<)


水分量を若干変えて、また美也子ちゃんに試食してもらいました。

美也子「あごが疲れる・・・」


何度も何度も水分量を変えて、しつこくも美也子ちゃんに試食してもらいました。

美也子「まだ嫌な重さがある・・・」


だんだん水に浮かべると浮きそうなパンになってきました。

ひと様が食べて、美味しいと思える柔らかさになってきました。


美也子「うん、これいいんじゃない?!」


長い間、よく付き合ってくれたと思います。

その美也子ちゃんが鈴木町にオープンしたるしえるの初代スタッフさんでした。



下の画像はシェアキッチンでお披露目した改良版「お赤パン」。



他にも



プライスカードが段ボール(笑)

練乳クリームの原型です

当時は、あんぱんといえば「よもぎあんぱん」だけでした。


つづく?

都内から小平に引っ越してきたのは、20年くらい前でしょうか。


ブルーベリーの発祥の地だと知り、ブルーベリーで酵母を作ってみることにしました。

下の画像は18年前のものです。

今はこんな小さなビンでは間に合わないので、大きな容器で作っています。



数日経つとブクブク発酵してきます。


一週間程度で発酵完了した液を、今度は小麦粉と混ぜて、さらに発酵させていきます。


小麦粉を足しながら、強く強く発酵させていきます。

3日目。

完成した生地(生ダネと言っています)を元に、炊いた玄米ご飯と小麦粉を混ぜて、パン生地を仕込みます。


余談ですが・・・

うちのパンは日によって焼き色や大きさが違いませんか?(汗)

同じ量、同じ焼き時間と温度で焼いても、仕上がりが違うことがよくあります・・・

実は毎日ドキドキ、ハラハラしています。


うまく膨らまなかった時は、かなり落ち込みます・・・

酵母の働きのせいにしています・・・



つづく

自家製の酵母でパンを焼いてみました。


初の自家製酵母パン。

天然酵母の中では初心者向きで一番作りやすくポピュラーなレーズン酵母です。

ギュッとしていて風味が濃厚すぎて、うーーーーん、思っていたのとは違うなー、、、

膨らみが足りず、酵母の風味が強すぎたり、嫌な酸味が強すぎたり・・・

あまり美味しく食べられるパンではありませんでした。

発酵時間を伸ばせば膨らみが増すのかもしれませんが、そうすると嫌な酸味もさらに増してきます。酵母の他に雑菌が育ってくるからです。


そこで膨らみやすいように小さく丸めて焼いてみました。

まあまあ美味しく焼きあがりました。


調子に乗って、毎日のように酵母でパンを焼き、自分だけでは消費できないので、友達や知り合い、遠方の親や友達にまでパンを贈り続けていました。


今思えば、みなさん、それほど好みではない硬めの得体の知れない風味のパンが届いて、さぞかし迷惑だったのではないかと反省しています(恥)



下のパンは、さくらんぼ酵母。


下の座布団のようなパンは、レーズン酵母を使い、黒豆と麦が入っています。

香ばしくて美味しかったです。


下のパンは、左:コーンのパン 右:小麦胚芽と全粒粉のパン


下のパンは、左:ライ麦と豆のカンパーニュ 右:レーズンとくるみのカンパーニュ


クープ(パンに入れる切れ目)が下手ですねぇ


振り返ると、ゴツゴツしたパンばかりで、メロンパンやクロワッサン や可愛いフワフワしたパンを焼いてこなかったことが良くわかります。


つづく